
先月のある早朝、母方の叔母が亡くなりました。ずっと前から持病を抱え、かなり重い状態が続いていました。何度も入退院を繰り返し、その度医者からかなり危険な状態なので、体調管理には十分気をつけるよう言い聞かされていました。それでも、全然覚悟が少なかったというか…。いまだ実感がわかずにいます。
私の旅好きは叔母の影響
千葉に独居していた叔母。私が東京で一人暮らしをしていた時は、実家よりも頻繁に遊びに行っていました。
叔母は旅行好きで、子供の頃からいろんなところに連れて行ってくれました。高校の時、亡き祖母も同行し親戚みんなで行った伊豆・熱海旅行はその最たる思い出です。2人だけでもよく出かけましたが、思えば銚子や土肥など、旅先は海の見えるところが好きでしたね。
初めての海外旅行に連れて行ってくれたのも叔母。妹と3人、7泊9日でハワイへ行きました。行き先を決めたのは叔母ですが、ホテルやオプション、観光は、妹と相談して決めていいと言ってくれました。
パスポートを取るのも、飛行機に乗るのも人生初。ホノルルの中心シェラトン・ワイキキに泊まり、ジェットスキーやスタンドアップパドルなどのマリンスポーツはもちろん、豪華なディナークルーズ、ドレスアップしてリムジンでタンタラスの丘に向かった後のリッチなディナー。シダの洞窟で有名なカウアイ島へも足を伸ばしました。もちろん、ホテル目の前のビーチの散歩や、アラモアナセンターでのショッピングも!
私が今、こうして旅のブログを書くほど旅行好きになったのも、叔母に影響を受けたことが計り知れないほど大きいです。デジカメがもっと前からあれば、海外の話もアップできたのにな…。
叔母との最後の旅行先は…
こんな感じで、私にとっては、第二の母と言ってもいいくらい頼りになる存在でした。ただ、10年以上病を患い、骨粗しょう症も重なり、自力ではほとんど歩けなくなっていました。
亡くなる2年半前の5月。叔母の妹にあたる母と3人で、エピナール那須に出かけたのが、叔母との最後の旅行になりました。この頃は、体調を見ながらですが、車で送迎すればまだ出かけられる状態でした。


叔母が初めて、私とダンナの住むアパートに立ち寄ってくれたのも、これが最後になりました。昔ながらの醤油ラーメンが好きな叔母を西那須野の小峰屋に連れて行ったら、とても気に入ってくれました。



エピナールでは朝・夕食ともフレンチ、





帰りはホテル近くで蕎麦を完食できるほど元気でした。


遠距離。どんどん弱っていく叔母
最後の方は、しばしば救急車の世話になり、退院しても同じ週のうちに再入院が重なりました。私も、毎回ではないものの母と一緒にお見舞いに出かけました。亡くなる1ヶ月前、退院に付き添った時は笑顔も見せ、元気そうだったのに、人の命はわからないものです。
命日となる前日の夕方に駆けつけた時は意識もちゃんとあり、会話もできましたが、その日の明け方4時に心肺停止しそうだからと連絡を受けました。病院へ急ぎましたが、最期を看取ることはできませんでした。

4年前の父の突然の他界
実は、私は4年前の秋にも、実父を亡くしています。膵臓がんで、余命10日と言われました。そしてその通り、入院してまもなく、本当に亡くなってしまったのです。
酒好きで、病院嫌いの父。母も、とみに食の細くなった父を心配して、何度も医者に行くよう勧めたのですが聞き入れません。世話になったから、車で片道4時間ほどかかる母方の墓前に手を合わせに行きたいと言い出し、病院に行かないと連れて行かないよと諭して、やっと連れて行った結果がこうでした。
今でも、医者に行く前にさっさと連れて行ってあげれば良かったのかも知れないと思うと、後悔の念に押しつぶされそうになります。
そして、自分にとっても、元気なうちに行きたいところに行くことを後回しにしてはいけないと、その度に改めて心に刻み込んでいます。
父の時は、突然の余命宣告に全く実感がわかず、勤めていた会社にも伝えず通っていました。ちょうど大型台風が来た後で、電車の線路が寸断され、突然父の容体が変わった際、会社から病院へ駆けつける足がなかったにも関わらず。バスの振替輸送はありましたが、普段の何倍も時間がかかります。
そして父の亡くなった時も、看取ることはできませんでした。平日会社で何気なくスマホを見た時に母から「父が亡くなった」とメールが入ったのです。たまたまダンナが私の会社に近い場所へ仕事でやってきていたので、同乗して向かうことはできましたが…。がんの場所によるのか、終始痛みは感じていなかったはずだというお医者さんの言葉だけが唯一の救いでした。
そして今回の叔母の死。父の時と同様、今回も何もできなかった…と悔やまれることばかりです。
身近な人の死を乗り越える2つのステップ
タイトルに、「身近な人の死の乗り越え方」としましたが、実際は人によりその方法は様々だと思います。とはいえ、基本は以下の2ステップに集約できると思います。
ステップ1:思い出を手繰り寄せ、底を打つまでとことん悲しみに身を委ねる。
ステップ2:心はいつでもつながっているし、きっと近くで見守っていてくれるはず、と励みにする
いずれにしても、亡くなった人との繋がりは切れないと信じ、折に触れ思い出してあげるのが一番の供養だと思います。

亡くなった後も見守ってくれている実感
生前は元気で暮らしているのが当たり前で、父を思い出すのは連絡があったり、誕生日だったり、似た人を見かけたり、近くまで来た時や年末年始などの帰省時に帰ろうかと考える時くらいでした。
亡くなった今は、父の好物や口癖を思い出した時、以前交わした会話のやりとりを思い出した時、テレビやネットで一緒に出かけたところを特集していた時など、父のことを思う機会が増えました。そのおかげで、むしろ、生前よりも身近にいるような感覚が増えています。
私はこれまで幽霊をみたこともないし、霊感のない方だと思いますが、父が亡くなってすぐの頃、お風呂上がりにふと思い出したことがありました。暗がりが怖かった子供の頃、父に「お化けなんかいない」とよくいさめられていました。それで、冗談めかして心の中で父に「実際、お化けとか幽霊とかっているのかな。いたらノックで返事して?」と話しかけてみたところ、風呂場のドアをコンコンコンと3回ノックされました。ダンナはとっくに眠った後。とはいえトイレにたまたま起きて来たのかな?と、勇気を振り絞ってドアを開けたところ、廊下は真っ暗、誰もいませんでした。
あとで、父は部屋のドアをノックする時、必ず3回だったことを思い出しました。本当に父だったんだ!と確信。やっぱり霊魂とか魂って今生に残るものなんだ、とはっきりわかった瞬間でした。元々怖がりなのにほん怖とか毎年必ず見る私ですが、父のことは別格。実際、呪いとか悪い霊もいるんでしょうけど、良い霊もいるし、実際身近だった人間を見守ってくれているんだ、とも理解できました。
叔母は亡くなった後、まだ誰の夢にも出て来ませんし、何も接触はありませんが、元々控えめながら優しく包み込んでくれた叔母の性格からして、必ず近くにいてくれていると信じています。

遠方で、電話をしても耳が遠く、意思の疎通が難しかった叔母ですが、これからはもっと身近で、そっと心の拠り所になってくれることでしょう。
直接会話をする機会はなくなったけど、温かく見守ってくれ、ゆくゆくはまた優しく向こうの世界へ誘ってくれるんだと思います。私が追いつくまでまだブランクがあるかもだけど、これからもよろしくね。